幸手市には、権現堂堤に代表される美しい水辺と、緑豊かな自然があります。市では、この恵まれた環境を活かし、自然の生態系に配慮し、人と自然が共存できる景観づくりを進めています。
桜で有名な権現堂堤ですが「桜の季節が終わってからも四季折々に咲く花を」という思いから、紫陽花、曼珠沙華(彼岸花)なども植えられました。季節ごとの植物の色づきをお楽しみいただけることでしょう。
「幸手の風景」のページでは、権現堂や桜まつりの歴史などもご紹介しておりますのでご覧下さい。
「権現堂」(ごんげんどう)という地名の由来は、江戸時代後期に幕府が編さんした地誌「新編武蔵風土記稿」(しんぺんむさしふうどきこう)に記されております。
[ 権現堂村 ]の項に
村内に熊野・若宮・白山の権現を合祀せし旧社あれば、この村名起これり
(訳)
村の中に、「熊野権現社」「若宮権現社」「白山権現社」という三つの神社を一緒にまつった旧い神社があったので、「権現堂村」という名になった。
とあり
[ 熊野若宮白山権現合社 ]の項に
村の鎮守なり、正智院持、この社、
古大社にて村名の起こりとし云も此権現三社なり
(訳)
村の鎮守で、昔は大きな神社だった。「権現堂」という村名の起こりも、この「権現三社」である。
このように、村の中に「三つの権現」があったことから、「権現堂村」の名前が付けられたと考えられています。この社の創建は、天正年間(1573~92年)と伝えられていますが、はっきりとしたことは分かっていません。
< 参考 >古文書に見られる最も古い「権現堂村」
慶長20(1615)年 「下総国猿島郡幸手内権現堂村御検地帳」(しもうさのくにさしまぐんさってのうちごんげんどうむらごけんちちょう)
※江戸時代初期には「権現堂村」という村名が確実にあったことが分かります。
場所:幸手市内国府間887−3(県営権現堂公園)